トカラ列島トカラ馬2 ~和馬日和(なごんまびより)~

トカラ列島中之島には日本在来馬「トカラ馬」が飼育されています。小さな島の小さな馬たちの様子をご紹介します。

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こは
これは今月生まれ。

ろこ
これは去年6月生まれ!いやはや、比べてみると迫力だねえ。

赤ちゃん、名前を決めました。
「こはる」ちゃん。
これは私が呼ぶための愛称です。

村がつける登録名はきっともっとずっとあとになります。

2月なのに、春のような暖かさを持って来てくれた子。
“小春”と書けば、それは10月の陽気のいい日のこと(小春日和)をさすので、
こちらの“こはる”は「来春」来る春「呼春」呼ぶ春という意味です。

おひさまぽかぽかのひなたの“ひな”
大事に育てたい坊ちゃんの“坊”

甘くてカワイイ和菓子のような“あずき”
その毛はまるで黄金色のたなびく麦畑“こむぎ”

中之島の女の子がこの子を見ていろいろあげてくれたうちの一つ“ちゃこ”
ローズの初めての女の子、ローズのように元気に育てと「ローズの子」“ロコ”

そんな感じで呼び名をつけています。






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  1. 2009/02/26(木) 19:46:57|
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初めて知りました。「副振動」。
気圧の関係で海面が突然上昇する現象です。
熊本の方では床下浸水や漁船がひっくり返ってしまったとか。
幸いここはなんともありません。

新港
↑着々と作業が進む中之島新港

ただ、全国版のラジオニュースを車を運転中の父が聞いたらしく、
「中之島の名前が出たぞ、大丈夫か」の電話がかかってきました。
その電話で父が言うには、「新しいブログを始めたから期待していたらやっぱり
馬のことばかりじゃないか。そんなことしてたら読んでる人に飽きられるぞ」ですって。
「いやいや、お父さん、これは馬のためのブログだから」と話しておきましたよ。
娘を中之島から奪還することを夢見ている父です。
そんな父に飽きられないために馬以外のお話を。

だつ
だつ
↑これはダツと呼ばれる魚。
大きくて、青く、カジキマグロとまではいきませんが、この口に刺されたらけっこうな
大怪我をする危険な魚でもあります。
骨がまた青いので、内地の人は気味悪がる人もいると聞きました。
なんのなんの、大変おいしいお魚です。
島の人はたいてい塩でシメて、陰干しします。冷凍庫に入れておけば保存食にもなります。

今日は中之島のそばに浮かぶ小さな小さな島に遊びに行ってきました。
ここはカツオドリのコロニーになっているところです。
まだ幼鳥は居ないと思っていたのに、驚くことに様々なライフステージの個体が混在し
ていました。
周年繁殖しているということでしょうか。
餌場がそれだけいいのか、それとも温暖化で珍しいことなのか、私にはわかりませんが、
とにもかくにもとっても貴重な場所だと思います。

かつ
かつお
人によってはおねえちゃんがいっぱいいるクラブとか、
宝石や黄金がちりばめられた宮殿とか、夢のような場所ってあると思いますが、
私にとってはここが夢のような場所です。
だって、カツオドリってかっこイイーっ!

ししょ
これは今年取り壊しが決まっている中之島出張所です。
2年前までは役場支所でした。
中之島にはもともと十島村役場が置かれており鹿児島に支所が置かれていたのですが、
時代が進むにつれてその役割が逆転し、もともと役場があった中之島だけに支所が置かれる
ようになりました。他の6島には役場出張所があります。
しかしこのご時勢、小さな行政を目指してなのか各島との均衡を保つためか、出張所となり、
老朽化のため今年建て替えられます。

建て替え時は中之島小中学校の真向かいにある東地区の公民館が仮出張所となります。
せっかく新しくなるのですから、使い勝手のよい施設になってくれることを期待したいです。




  1. 2009/02/26(木) 19:42:52|
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夜に雨が降るのはこれで2日連続。
今日は朝まで雨が残りましたが、上がりました。
でも気温は高く、奄美大島で夏日だったくらいでした。中之島(特に高尾)はそこまで行きませんが、
3月中旬くらいはあったのではないでしょうか。
今妊娠しているみんな、お願いだから天候の安定した時期に産もうね、3月にしようね。ね。

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春の気配はここかしこに。
うちの庭はスミレであふれています。
ヤマザクラも今が盛りです。

target="_blank">777
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子馬の傷はなんだか収縮してきている印象があります。
垂れ下がっていた皮膚ですが、どうやら子馬自身が噛み取っている感じです。
口の周りにガビガビなものがこびりついていますもの。
傷自体は白い膿が覆っている感じで、これが自然治癒の力なのか、どうなのか。
でも本人はいたってマイペース。です。

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↑かわいいおみあし

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このようす!
親子だねえ~そっくりなのです。笑った。
手前がブラック、奥が息子の坊です。
ちょうど並んだところで2頭ともウトウトしはじめたところ。
よく人間で、母親が自分の夫と息子を見て親子ねと感じるような。
疑似体験だっ(汗)。





  1. 2009/02/24(火) 20:00:06|
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昨日は気温は上がりませんでしたが晴れて太陽の光がとても
暖かな一日でした。
今日は一転曇り空で雨の予報。でも気温は比較的暖かく推移するようです。

子馬の下痢について馬師匠に聞いたところ、ひどくて長引くような状況以外で脱水症状に気をつ
ければ心配しすぎないでいいということでした。
幸い20日に見たお尻の周りの汚れは昨日今日とすっかりきれいでした。ゆるゆるの便は出てい
ないように想像します。
経済動物の中でも牛はその肉質や乳量などを改良するために、本来その動物が持つ耐性を奪っ
てしまう傾向があるそうで、下痢が思わぬ重い症状に発展してしまうことがあるそうです。
その点在来馬は比較的未改良なだけに強い。
そういえば昨年の北海道の研修のときに見たのは、プレッシャーをかけられた馬がいつもよりゆ
るいボロをしていました。
精神状態でも変わるようです。
今回は化膿止めの抗生物質の影響も考えられますが、成馬と違って母馬の乳を飲んでいる段階
ですので、滋養の塊をお腹に入れているわけですから大丈夫だよとのこと。

そして傷のほうですが、乾いている部分と少し分泌液が出てきてぬれている感じです。
下部にめくれた皮が邪魔で気になります。
メスで切り取ったらと島の人の意見。どうするべきか。
想像するに、放置すればグレーのような(こぶとりじいさんのような)「こぶ」になるのではないで
しょうか。

馬ばかりで。
島は今たんかんの収穫をピークに迎えています。
鹿児島でもさまざまな地域が出展してみかん祭りみたいな物産展が行われたようです。
見るとどれも一点の傷も無いきれいなものばかり。
それと比較すると島のは野性漂う感じ?でも甘くておいしいですよ。
今年は表作で、さらに天候による大きな被害も無かったため比較的数量はあったようです。

牛のほうは全体的に価格が安いようで、セリ帰りの人はため息交じりです。
逆にいえば今が新規参入・規模を拡大するチャンスかも?いい方にいい方に。

島内での皆既日食の盛り上がりは今のところ皆無です。
ただ、今年はお客さんがいっぱいくるから・・・という意識はあるので、普段の生活の中で今から
変えていける所は変えていこうというニュアンスはある感じです。

新しい港の完成はまだ、光回線導入に伴う道路などの整備もまだ未完成です。
あとお、ちょっと暖かくなるとすぐにブトが!血が出るほど刺してきます。夏場の対策はきっと
厳重にやると思いますが、今の時期は気を抜いているのでいつの間に刺したの~という感じです。

「フェリーとしま」はまだドックです。
今はきっと分解された各パーツが組み立てられている頃だと思います。
復帰は来週の金曜出しからです。



  1. 2009/02/22(日) 20:21:51|
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馬が日本列島にもたらされた歴史はいくつか考えられますが、
古墳時代のものと思われる出土品の埴輪や馬の骨などから朝鮮半島からの人の移入に伴った
ものだと考えていいと思います。
その後日本では騎馬民族のように爆発的に頭数が増えることもなく、一部の階級層に重点的に
管理されるか、牛と同じように農耕用などの使役目的に飼われることで受け継がれてきました。
南西諸島ではどうだったのか、薩摩ではどうだったのか、今回、薩摩藩の馬政について資料を
県立図書館に求めたところ、『鹿児島県畜産史』という本を得ました。ただ、発行が大正2年で古い
文語が読解し辛く、単語単語を拾ってゆくまるで英文訳のようなありさまです。
ほとんど読みきれませんでしたが、まあだたたい雰囲気でわかるところは(なんておおざっぱな)、
島津家は馬政に熱心であったこと、そのために人間側の嗜好を満たすため早くから改良が盛んだったこと。島嶼では部分的に地理的条件の中でその改良が遅れたこと。
などです。それぞれのお殿様(島津家は初代忠久(源頼朝の子)から30代忠重まで続き、篤姫
で有名な照国のお殿様“斉彬公”は28代)の治世で起こった馬の逸話が詳しくかかれていて、
軍馬として政治的に重要な位置付けがされていたことを思わされました。

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まあ、そんなこんなで喜界島から鹿児島に戻り、島では子馬が
生まれていることも知らず、図書館や美術館や乗馬クラブなどをまわっていたのでありました。
車検が早く済み、移動に使えたので買い物もしました。とくに本屋さんは楽しくて、これからやりたいことについて書かれた本は全部欲しくなってしまうありさま。そんな金は無い。
普段島ではお店が無くて買えなかったものをみるとついついですが、見ている間に時間は経ち。
早々に帰りのフェリーに向う時刻となりました。
帰りはフェリーとしまがドックに入ってしまっていたので、代船フェリーみしまに乗ります。
受付はとしま待合所。乗るところはみしま側(みしまととしまは同じ南埠頭ですが、岸壁は左右
に分かれているのです)。
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「フェリーみしま」
いつもフェリーとしまがドックのときに代替船としてきてくれる
フェリーみしま。
今回はじめて乗りました。
としまよりは小さく、揺れもあるようです(が、今回は爆睡だったので気付かず)。
3階に大きなロビーがありました。
最上階のデッキにはベンチが何台も設置されていました。客質には土地の植物の写真が飾られ
ていました。
三島村は鹿児島港から近いし、乗って3~4時間くらいなので旅情を楽しむにはいい感じなのでは
と思いました。
おみやげ物としてカメリアソープなどのつばき製品が並んでいました。




  1. 2009/02/22(日) 20:19:29|
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帰ってみるといきなり子馬が生まれていたり、
その子がなんと怪我をしているとあって、なんだか頭がめちゃめちゃで、旅から持ち帰った
資料も荷物もまだ整理し切れぬまま、せっかくの新しいブログなのに文章もつぎはぎだらけ
(旅の報告と現在進行形の報告が)で読みにくく、・・・・・
申し訳ありません。でも、できることならこのままお付き合いを・・・。

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子馬の怪我は乾燥していましたが、昨日の雨で今朝はぐじゅぐじゅと濡れていました。
夕方はまた乾きました。
明日は天候がいったん回復するようですが、その後はちょっとよくない。生まれたばかり
の子馬をぬらす雨は心の底から嫌い。

今回の出産、よくよく時期を見てみると、去年あずきが開聞から中之島にやってきたのは
3月の末でした。
妊娠期間は11ヶ月なので、ちょっと早いくらいです。もっもしかしたらロッキーの子ではなく、
開聞ですでに種付けされていた!?
なんて疑念が・・・いえいえ、馬に詳しい人の話だと刺激が与えられると発情を誘発すること
もあるのだそうです。
島に来てすぐ種がついたのだとしたら、おかしくはないわけで。
DNA鑑定なんてしませんよ。ロッキーの子です。きっと開聞の女の子よりでっかく育ちます。

とっても人懐っこくて、すでに体を触らせてくれます。
“ちゃこちゃん”や“ロコちゃん”は怖がって逃げてしまっていたのに。
順調に行けば気立てのよい子になりそうな予感です。

お尻を見ると少々汚れています。
ゆるい便が出ているみたいです。
在来馬の強さを信じ、見守ります。


  1. 2009/02/20(金) 23:09:34|
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喜界馬

8時間労働は日本の企業で発想されたものだといいます。
従業員に無理なく働いてもらうため、1日のうち8時間は睡眠に・8時間は仕事に・8時間は
余暇に当てるのが健全と。
でも、どうなんでしょうねえ、8時間労働の日は同じ8時間でもなんだか余暇の時間のほうが
短く感じるのは。
日が短いせいと、心のゆとりのなさか。

前回までのブログ、早く報告をしてみなさんに見てもらおうとあせって書いたので、なんだか
論点ゆるゆるですね・・・。
申し訳ないですが、しばしお付き合いを。

喜界馬の話



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↑ガラスケースが映り込んじゃってなんだかさえない写真でごめんなさい。

喜界町中央公民館には資料館が付属しており、
中央公民館の入口で資料館を見せてもらう受付をします。
そのロビーに喜界馬と呼ばれる剥製が大きなガラスケースの中に置かれています。
以下はそれに添えられていた説明文の写しです。

「喜界島といえば馬、馬といえば喜界島といわれるほどその昔馬の産地として有名
であった。
喜界島の馬は時代の移り変わりによる農業の機械化普及と共にその影は年々薄ら
いで最後の1頭にまでなり、ここに剥製にして保存するものであります。
記録による喜界馬は安永(1775)の頃より飼われていたようですが、明治に入ってか
ら繁殖生産がされるようになり、特に喜界馬のよさは肢蹄の強いことで広く知られ、
戦時には軍馬の生産地として移出し、島の農業生産の上にも馬なくして農業なしと
いわれるほど使役用と堆肥増産に、また、産駒生産による換金面に大きく役立ち、
農業経営上家族の一員とまでに言われたほどの愛おしい動物でもあります。
各集落に国有、県有の種牡馬が飼われ島内3000頭余の飼育がなされ、名実共に
国内有数の馬産地であったことを記すことにしました。

剥製馬(鹿毛、雌馬、年齢26歳)は栄元太郎氏が町に寄贈し、町が平成2年(ウマ年)
に於いて永久に保存するため剥製製作しここに保存する  (平成2年12月  喜界町)」

未改良の馬をかつての「喜界馬」と呼ぶのだとしたならばこの子はそうではありません。
ただどうやら、島民の心の中では喜界で生まれ育った馬のことを喜界馬と呼んでいるようなので、
この子は立派な喜界馬です。

明治30年ごろ喜界島から農耕馬として未改良の馬が宝島に導入されました。これが現在の
トカラ馬の始まりです。
考えてみると、当の産地ではかえりみられなくなった在来馬の特徴を図らずもトカラが引き継ぎ、
そして残した。
トカラ馬の形質が今ここにあるのは奇跡のようです。
「トカラ」は「宝」がなまったものだという説もありますが、トカラ馬は宝馬そして奇跡の馬だとも
言うことができるのではないでしょうか。

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↑公民館に展示されている農機具(馬具)はそのほとんどが大型の馬のものでした。


  1. 2009/02/20(金) 23:06:40|
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7
77
[フェリーきかい]は北埠頭からの出港です。
17時30分出港。同航路の[フェリーあまみ]とあわせれば鹿児島港から平日毎日運行
しています。
出発はまだ明るい時刻でしたので、夕日を見ながらゆっくりクルーズです。フェリーとしま
は真っ暗闇でこうはいきません。
ちなみに2等は喜界・奄美(名瀬港)共に9000円。名瀬を出たあとの先は奄美の古仁屋・
徳之島・沖永良部です。

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翌朝5時、島に到着。
港周辺の地域は他にホテルやスーパー、小さいけれどちゃんと空港もあり、町で一番にぎや
かなところです。雰囲気はやはり奄美大島に似ているのかな。沖縄のあの空気感とはまた
違います。
そしてとにかく道路の整備は完璧。いままで土建が盛んだったろうなと思いたくなるほど、
舗装道路は完璧です。
平坦な土地柄を利用してなのか、パンフレットにはサイクリングを勧める記述もありました。
主幹産業はサトウキビで、黒糖やそれを使ったお菓子・黒糖焼酎・黒糖酢が有名です。
また、中之島と似たようなみかん類(タンカンやスイートスプリング)も作っていました。

日蝕のポスターもところどころ見られました。
おみやげ物ももう販売されていました。


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若い人も多く、どの地域に行っても子供が遊んでいます。
学校も多く、また公民館の脇には土俵がありました。(大島地方は大人子供問わず相撲が
盛んです)
大変きれいな、芝生にオレンジ色の屋根の一戸建ての団地が整備されていて、若い人たち
の姿が見られました。
また、島を訪ねればまだまだ昔の珊瑚の石垣のお宅が多くあり、建物は質素でありながら
表庭のゆったり感が感じられました。
そんなお宅にはかつて必ずといっていいほど馬小屋と製糖の設備があったようです。

私が訪れた日はちょうど暖かいときで、2月とはいえ大変すごしやすかったです。
でも、また夏はまた違った印象になるんだろうなとも思います。
平坦なので水不足な島なのではないだろうかと勝手に想像していましたが、水は枯れることが
めったになく豊富だそうです。
また、石灰岩でろ過されているため、ミネラルが豊富なのだと島の人が言っていました。

島には喜界の馬のことについて調べに来たのだと話したら、案内をしてくださる方がいて、大変
お世話になりました。
その方は島外のご出身でしたが、喜界島はとっても住みやすいと言っていました。
また島出身の方にも優しくしていただき、ご自分のバイクを使わせてくださいました。
お二人とも島の良い素材や文化がもっとメジャーになればいいと言っていました。
また、どうやら役場サイドでもかつて喜界馬と呼ばれたであろうトカラ馬を里帰りさせる構想を
持っていらっしゃるようでした。
喜界島とトカラは人の繋がりもまたあり、「汽船もまた道路なり」といってフェリーを十島に引っ
張ってきた先生も喜界島のご出身です。
中央公民館の一角に中之島の石碑の写しが飾ってありました。


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かつて馬がいたであろう環境と、島の雰囲気、そして島の
実情をちょっとだけ垣間見た感じでした。
13日はビジネスホテルに1泊。
よく4日夜9時に出港して翌朝9時20分に鹿児島港に到着するフェリーあまみで帰りました。

鹿児島は大都会に感じました。いつ行ってもどこかに食べ物があるし。
喜界では時間を逃せばスーパーにはお惣菜がきれいサッパリなくなっていましたし。
だからなんだか歴史をさまよっているみたい。
中之島はとにかく何にもない。夜何かを買おうだなんて、何のこと?
喜界島は不便な島ではないが便利な島ではないという感じ。
鹿児島はお金さえあれば・・・。

翌日は鹿児島市内で未来の話。
それはまた次回~



  1. 2009/02/19(木) 00:08:07|
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123
保食神社はもともと馬頭観音を祭ったところでした。
馬頭観音は自分の家の牛馬に憂いがあったとき、祈る仏様の事です。
喜界島にはこの保食神社が数多くあります。それだけ馬がいたことが想われます。
明治に神仏分離令が発令されたため、馬頭観音は他の神様に姿を変えたそうです。
馬のいない今も地域の人のよりどころになっているようです。





  1. 2009/02/18(水) 23:53:41|
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654
2月11日から17日まで島を離れ、鹿児島に上ってきました。
お話したとおり、車検がきっかけですが、旅の目的もありました。
前半は「過去」への旅・後半は「未来」への旅(って大げさ)。

翌12日、「フェリーきかい」で喜界島へ。
これでぴんときた人はトカラ馬通。そうです、トカラ馬の実家です。トカラ馬は明治30年ごろ喜界島から宝島に導入されたものです。
トカラ馬たちがどうゆう環境で飼われていたのか、その名残を探しに行ってきました。
古くから未改良馬が喜界島で飼われてきました。喜界島は馬を飼育するにはよい土地柄で、気温が高く周年青草が利用できることと、
新しい時代の隆起珊瑚の島のため(現在もまだ隆起が進んでいます)地上で利用できるミネラル分が豊富で、蹄・骨共に強い馬体に恵まれるということです。
そのため馬産地として多くの馬を生産し、農耕馬・軍馬として島外に出してきた歴史があります。
トカラ馬といわれる日本在来の未改良馬が宝島にわたった時期はちょうど明治政府が体の強い和種馬と体の大きい西洋種との交配を政策として推し進めていた
ところで、ぎりぎりのところだったようです。
そのため現在ご存命の方に当時の馬の話をうかがうと、そのどれもが大型の馬を示していました。
喜界馬として写っている写真も西洋種の特徴が見られるものがありました。
実際には昭和50年ころまで島に馬がいた(現在でも趣味でポニーを飼っている人はいます)そうです。
軍事に向け馬体を大きく改良してきましたが、戦後その需要が減り今度は搬馬としての使いやすさを求めて中型化がすすんだそうです。
しかし機械化と共に終盤には使役馬ではなく肉用馬として重種を飼育していたそうです。
薩摩藩の馬産地の一つであったかどうか、これもひとつ確かめたいところでした。
なぜなら本土の領地だけでも多くの「牧」と呼ばれる放牧場を抱えていたからです。
わざわざ交通の不便な離島に産地を持ってくる必要があったのだろうかと。
しかし、当時の運搬・流通は私が想像するよりずっと華やかだったようで、特に琉球統治の歴史を持つ薩摩藩ですから、鎖国の世であっても
大陸から多くの物品を手に入れていたことは想像できるところです。
島からの年貢・物資(サトウキビなど)も入れていたことでしょうから、その物流に馬が含まれてもおかしくはありません。

日本の馬文化では西洋に比べ特徴的なことがたくさんありますが、その一つが去勢をしなかったということです。
技術かなかったのか、試みなかったから発展しなかったのか、そもそもそうゆう発想がなかったのかはわかりませんが、去勢をしない牡馬を乗りこなすには
技術がいり、誰も彼もが乗れるというものではありませんでした。
戦があれば気の荒い馬が求められたでしょうし、そのための訓練もされたのだろうと思います。
ただ、天下泰平の世では荒くれ馬は使い勝手が悪くなったのではないでしょうか。牧で放牧され野生馬を捕まえてくるのは大変な労力がいります。
その点、島の馬は一家で1~2頭、人間と共に作業をし、扱いやすく馴致されていました。
その気性の優しさは戦のない世の中では重宝なものでしたでしょうし、いざというときすぐに集め使えるというメリットもあったのだろうと想像します。


喜界島
奄美大島の東側に浮かぶ隆起珊瑚の島。
鹿児島から380km。
面積:56.87k㎡(耕地37.4%・林野20.7%・その他40.9%)
周囲48.6km(周囲の海岸線は単調な岩礁)
地形は北東から南南西に細長く、平坦。山らしい山はない




  1. 2009/02/18(水) 23:52:58|
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子馬誕生

4321
本日中之島に帰ってまいりました。
一週間ぶりです。一週間ぶりの配達物もたまっていたので、ご飯食べる暇もなくの作業
になりました。
道のすぐ両脇にある柵内の馬たちはみんな元気な様子で、全員ただいまのひとなで。奥
の柵の子(ロキ・あず・こむ)は仕事が終わってからと思っていました。
16時ごろ牧場に行くと、役場の人が子馬の写真を撮りに来たというじゃありませんか。
???という思い。
なんと“あずき”が子馬を生んでいたのです。
見に行くとかわいい女の子で、元気な様子。あずきもちゃんとお乳をあげています。
しかし、右の足の付け根に大きな怪我。一体どういうことなのか。
うれしいと思うのと同時に心配する気持ちと、あとはなぜ、なぜ、こんだけがんばっている
のに「生まれた」の一報ももらえなかったのかという悔しい気持ち。
前回のブログの文章、なに言ってんのお前って感じです。
留守の間に子馬がうまれるという大きな出来事がったのにもかかわらず、連絡の一本も
もらえないような身分なんですから。

321
管理者さんの言うには、日曜日の午前中に生まれて
いるのに気づいたそうです。当時から元気で、母親のあとをちゃんとついて回っていたそ
うです。
怪我は今朝見つけたのだそうで、獣医さんにメールで指示を仰いで返事待ちだそうです。

私自身も知り合いの獣医さんや馬飼いさんに意見を求め、島にいた家畜衛生士の方ととも
に治療をすることにしました。
皮がめくれている状態で縫合が考えられますが、皮膚が下側に垂れ下がっていることから
下手な縫合などは状況を悪化させるだけですし、
かえって傷を湿気の高い不衛生な状態においてしまうことになるので適切ではないと判断
しました。
患部の消毒をし、抗生物質を注射しました。

子馬自体は非常に元気で、跳ね回ったりお乳をせがんだり。この元気さが事故の元か。
有刺鉄線に引っかかったような傷が右頬にあり、傷の状態から鉄線を支えている鉄柱に
何らかの形でぶつかって体を引き上げたような感じのめくれかたです。

前ブログからのお付き合いの方はご存知の方も多いと思いますが、怪我=ラッキーという
構図が私の頭から離れません。
感染症にかからないで欲しいと思います。予防の投薬を一応考えてみて欲しいと管理者
さんの方から教育委員会のほうに伝えてくれるよう頼みました。

いやいや、こんな感じでした。本日は。
もしかしたらこむぎにも赤ちゃんがいるかな。
自然放牧なのでいつ種がついたのかはわからないのです。

でもこれで15頭になりました。
ちょっとこれから天気がよくないので、心配してますが。


  1. 2009/02/18(水) 23:49:12|
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2月11日

頭皮にできるニキビって痛いですよね~。
でももっとイヤなのは、私はよくできるんですが眉間のニキビ。目立ってしょうがない。
インドで言う第三の眼ってやつです。ちょうど赤くて。
最近もできていやでした。前髪を下ろした髪型なのですが、上手に隠れてくれない。
原因は甘いものの食べすぎでしょうたぶん。

さて、今日ののぼりで1週間島を離れます。
車検で車を上鹿する予定だったのですが、ちょうどフェリーとしまもこの時期ドックで、
1週間船がないのです。
仕事で車を使っている都合上、船のない時に車検が済ませられればラッキーなので、
本当の期日は3月なのですが、この機にやってしまいます。
さらに有人で車を上げれば人の運賃が浮くので、私も上ります。
グレーは安定しています。食欲も旺盛です。もともとのんびりな性格で、
以前ボスだったときは例外ですが柵を移されて新参者になったときから非常に穏やか
になりました。
今は病み上がりで3頭のうち最も劣勢な立場になってしまいました。でもストレスでは
ないようですよ。3頭は上手にやっています。
村側の対策としては糞をとって細菌検査にまわすそうです。
症状が改善してもう1週間近く。遅い気もしますが。
基準になるデータを事前に準備しない限り、ただ獣医師を島に派遣してもあまり成果が
挙げられないから検査にまわすそうです。
たぶん白だと思います。

寄生虫に関していえば、駆虫剤を飲ますことにすれば糞をとっての検査はあまり必要な
くなると思います。
たぶん今まで野生馬として扱われてきたので薬の投与ということは考えられていなかっ
たのだと思います。
今は14頭全部触ることができます。投与も試してみるべきだと思います。
今まで見てきて費用の面と人手の面、そして馬に与える影響面のバランスがあまりよく
ない気がしていました。
ただ、正論だけを述べても進まないということもわかりました。


さて、1週間の旅路。もともとは鹿児島大学の入来牧場に行ってトカラ馬譲渡の相談をさ
せてもらいたいと思っていたのですが、皆さんご存知のように、保存会から譲りませんと
断られてしまったので(残念)計画は変更です。

また帰ってきたらご報告します。



  1. 2009/02/11(水) 10:06:26|
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1
グレーの様子に一喜一憂でした。
牧場に行って、グレーが立っていればハッピー、しゃがんでいればブルーの2極です。
真夜中に突然発熱したわが子を背負って診療所を探す母親の気持ちには到底及ぶものではありませんが、
近いような感覚が続きました。
軽度の腸不活性で、便が通じれば劇的に治ると期待していた分、こうして長びく様子を見るのは心配でならないのが正直な気持ちです。
でも心配ばかりで暗い顔していると善い空気が逃げていってしまい治るものも治らなくなるので、お気楽まではいかなくても平常心です。


糞もして餌も食べ始め回復傾向にあったと思っていたのに、一昨日は朝から座り込んでいました。
給餌して様子を見ますが食いつきはまだまだで、しばらくするとまた苦しそうに排便しその後座り込んでしまいます。
便には白い粘液が付着していました。
いったい症状が回復傾向にあるのか、それとも新たな症状の予兆なのか判断がつきませんでした。
お昼休みに様子を見にいたときも朝のように倦怠感のある様子でした。

再び夕方牧場に行くと今度は仲間たちと竹やぶから出てきました。竹の葉を食べていたんだと思います。
乾草を給餌すると今度は勢い良く食べてくれました。
糞の量が少ないなといっても食べていなければ出るものも出ないので、見る側の私が1日中いっしょにいられない分、
食いつきの様子はとても大きな判断材料です。
そして昨日からはどうやら回復していると判断できるほど良い状態になりました。
しゃがみこむこともなく、糞も良く、食欲もあります。
今から考えてみると、一進一退の症状の中で転機と思えたことがあります。
それは苦しそうに体をくねらせうめきながら排便する様子に変わりはないのですが、症状が重いと思われたころは辺りかまわず
だったのに対し、ある時点から仲間のため糞場まで行ってからするようになったのです。
群れの動物、他の馬のそばにいっしょにいてくれると他の馬との関係に気を使える余裕が出てきたのだと感じ安心感があります。

今後も注意しながら見守ります。

この3日間も大変天気が良く、救われました。
太陽は暖かく、風は涼しく。
グレーの様子も安定してきて、私の心も安定です。


  1. 2009/02/06(金) 22:49:01|
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疝痛

111
1111
1月31日にさっと降った雨を境にして3日間いい
天気になりました。
昼間は暖かく、夜は大変きれいな星空になりました。
そんな3日間、グレーが疝痛を患い、治療にあたりました。
疝痛とは馬の腹痛の総称で、便秘・下痢を含みます。苦しそうな仕草をし、ひどいと
きにはのた打ち回ります。
腸が不活性になる症状の場合には、痛みで動けなくなったままで放置すると症状が
悪化し、最悪の場合はガスで腸が破裂したり、腸がねじれる腸捻転を引き起こします。
馬は消化のために腸が長く、疝痛は命に関わることもあるのです。
夕方私が異変に気付いたときのグレーは痛みに動けず倒れこんだ状態でした。調子が
悪くなってからどのくらいの時間が経っていたのかはわかりませんが、午前中に餌をやった
管理の人の話では元気だったとのことでした。
すぐに疝痛の疑いを持ちました。以前に目を通してあった本に症状として記載されていた
ものと符合していました。
電話で専門家の意見をうかがい、それをもとに腸を動かすために立たせ歩行させることに
しました。これに反応してくれたのでその後も運動とマッサージで対応しました。
24時間経っても症状に大きな変化がなく、長引くことにだいぶ心配しましたが、治療中本
当にわずかでしたが硬く小さくても糞があり、お腹のなる音もしていたので根気よく続けました。
2日の夕方になってようやくいい糞をしてくれて食欲も出てきてくれ、現在は回復の傾向にあります。
満天の星空のもと、馬のマッサージをしながら空を眺めたり病気の対処法を学んだいい
経験をしました。
グレーはいい先生です。天気にも救われました。雨の中の治療はもっと厳しいものになった
かもしれません。
疝痛になる原因はたくさんあります。特定は難しいので想像するしかありません。
一番は食べたものに起因するもの、他にウイルス性のものもあります。
特に大量の濃厚飼料を食べさせたことはなく、逆に餌が少ないので硬い竹の茎や木片を
ほおばったのが原因なのかとの意見もありました。
今回出した糞を調べましたが、目に見える虫はなく、ビニール袋などの異物も見つかりま
せんでした。
また、疝痛は繰り返す恐れのある症状なのでこれからも注意してみてやりたいと思います。

どんなに重い症状であっても獣医さんが駆けつけてくれる環境にないので、なんにおいて
も覚悟が必要です。
でもこうして回復してくれると、心が打たれ強くなってくれます。
今日は夕方からかなり強い降りの雨が断続的にありましたが、明日立春からしばらくは
天候が回復してくれそうなのでよかったです。

11111ゴミが落ちていたりもします。
最近のものではなく、もっとずっと以前のもです。牧場として使われる
前のものかもしれません。
観光地の牧場ではしばしばお客さんが落としていくゴミがあります。
公園の管理側はその点も注意しています。
ここではあまり頓着されていないので、私は見つけたら集めてよけるようにしています。




1私のイタリアン、11月中旬に撒いたのがようやっと15センチくらいの草丈になりました。遅い遅い。でもいい色です。


11/>風が強い時は、まるで麦畑を渡るときのように、
竹の山を波を作りながら吹き抜けます。
ここは牛の放牧場を作るために焼畑をした場所です。


  1. 2009/02/03(火) 19:45:51|
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