トカラ列島トカラ馬2 ~和馬日和(なごんまびより)~

トカラ列島中之島には日本在来馬「トカラ馬」が飼育されています。小さな島の小さな馬たちの様子をご紹介します。

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2月11日から17日まで島を離れ、鹿児島に上ってきました。
お話したとおり、車検がきっかけですが、旅の目的もありました。
前半は「過去」への旅・後半は「未来」への旅(って大げさ)。

翌12日、「フェリーきかい」で喜界島へ。
これでぴんときた人はトカラ馬通。そうです、トカラ馬の実家です。トカラ馬は明治30年ごろ喜界島から宝島に導入されたものです。
トカラ馬たちがどうゆう環境で飼われていたのか、その名残を探しに行ってきました。
古くから未改良馬が喜界島で飼われてきました。喜界島は馬を飼育するにはよい土地柄で、気温が高く周年青草が利用できることと、
新しい時代の隆起珊瑚の島のため(現在もまだ隆起が進んでいます)地上で利用できるミネラル分が豊富で、蹄・骨共に強い馬体に恵まれるということです。
そのため馬産地として多くの馬を生産し、農耕馬・軍馬として島外に出してきた歴史があります。
トカラ馬といわれる日本在来の未改良馬が宝島にわたった時期はちょうど明治政府が体の強い和種馬と体の大きい西洋種との交配を政策として推し進めていた
ところで、ぎりぎりのところだったようです。
そのため現在ご存命の方に当時の馬の話をうかがうと、そのどれもが大型の馬を示していました。
喜界馬として写っている写真も西洋種の特徴が見られるものがありました。
実際には昭和50年ころまで島に馬がいた(現在でも趣味でポニーを飼っている人はいます)そうです。
軍事に向け馬体を大きく改良してきましたが、戦後その需要が減り今度は搬馬としての使いやすさを求めて中型化がすすんだそうです。
しかし機械化と共に終盤には使役馬ではなく肉用馬として重種を飼育していたそうです。
薩摩藩の馬産地の一つであったかどうか、これもひとつ確かめたいところでした。
なぜなら本土の領地だけでも多くの「牧」と呼ばれる放牧場を抱えていたからです。
わざわざ交通の不便な離島に産地を持ってくる必要があったのだろうかと。
しかし、当時の運搬・流通は私が想像するよりずっと華やかだったようで、特に琉球統治の歴史を持つ薩摩藩ですから、鎖国の世であっても
大陸から多くの物品を手に入れていたことは想像できるところです。
島からの年貢・物資(サトウキビなど)も入れていたことでしょうから、その物流に馬が含まれてもおかしくはありません。

日本の馬文化では西洋に比べ特徴的なことがたくさんありますが、その一つが去勢をしなかったということです。
技術かなかったのか、試みなかったから発展しなかったのか、そもそもそうゆう発想がなかったのかはわかりませんが、去勢をしない牡馬を乗りこなすには
技術がいり、誰も彼もが乗れるというものではありませんでした。
戦があれば気の荒い馬が求められたでしょうし、そのための訓練もされたのだろうと思います。
ただ、天下泰平の世では荒くれ馬は使い勝手が悪くなったのではないでしょうか。牧で放牧され野生馬を捕まえてくるのは大変な労力がいります。
その点、島の馬は一家で1~2頭、人間と共に作業をし、扱いやすく馴致されていました。
その気性の優しさは戦のない世の中では重宝なものでしたでしょうし、いざというときすぐに集め使えるというメリットもあったのだろうと想像します。


喜界島
奄美大島の東側に浮かぶ隆起珊瑚の島。
鹿児島から380km。
面積:56.87k㎡(耕地37.4%・林野20.7%・その他40.9%)
周囲48.6km(周囲の海岸線は単調な岩礁)
地形は北東から南南西に細長く、平坦。山らしい山はない


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  1. 2009/02/18(水) 23:52:58|
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