トカラ列島トカラ馬2 ~和馬日和(なごんまびより)~

トカラ列島中之島には日本在来馬「トカラ馬」が飼育されています。小さな島の小さな馬たちの様子をご紹介します。

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さて、さて、
生の馬とはこれ以上遊べないので、
意識を切り替えて、今度は在来馬の来た道を感じる旅にすることにしました。
以前喜界島に行った時の「トカラ馬のルーツ探し」と似たようなもんで。

日本在来馬の移入ルートは朝鮮半島を介して大陸からというのが現在の通説です。
それは南方系と言われていた沖縄の馬でもこのルートだったということです。

馬産地として有名になった東北地方は、大陸から来た騎馬民族の影響とかなんとか。

ただ、依然わからないのは、最初の飼育個体がいつ頃日本に来たのかということです。
縄文時代の後期、馬に着けたであろう装飾品が出土しているのですが、
これが飼育を証明するものとはなっていません。
やはり古墳時代を待たないと、飼育に関する確かな出土品は得られないのが現状です。

古来より対馬は特殊な土地柄で、その立地故外国との交易で成り立ってきました。
早くから中央政権の手が入り、大陸と日本本土の文化の交流地点だったわけです。
また、対馬の事情としては山がちな土地柄のため焼き畑が主で、反収が上がらず
米のとれる地域も少なかったそうです。
専業漁師もいなかったとか!漁業権を支配層がもっていたため、遠く堺の船団などに
売っていたという話も聞きました。
地元農民は物納での年貢ではなく、山や畑で採れたものを問屋で換金し、納税していたそうです。
道も、けもの道のような荒れた道が多く、そのため運搬に馬が活躍したそうです。
農耕には牛が、力強く男の仕事で、馬の使役・管理は女性の仕事と分担していたそうです。
冬場には飼葉が少なくなるので、数日間山に集団で入り草をを刈って乾燥させて持って帰って
きたんだそうです。対馬の生活に馬が密接にかかわってきたことは間違いなさそうです。

断片的にしか話を聞いていないので、誤りがあったらごめんなさい~。
CIMG0381.jpg
ここは万関橋(まんぜきばし)
明治33年、日本海軍が艦船の通り道として人工的に開削したそうで。
ここから北が北島、南は南島と呼ばれて(ニュージーランドみたいだなあ)、
北島にツシマヤマネコが多く生息しているそうです。

和多都美神社(わたづみじんじゃ)
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭ったお宮。
さすが歴史のある土地柄で、神話の時代を感じさせるお宮がいくつもあります。
パワースポットですよ。
CIMG0377.jpg




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  1. 2012/07/19(木) 16:30:39|
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